喪主の挨拶
50代前半  東京都
2019/03/30 2:57
喪主の挨拶
この度は、お忙しい中
父・ヨトロー(仮)の葬儀に
ご参列頂きまして、誠に有難うございます

昭和6年11月18日、旧◯◯村字◯◯の
農家の9人兄弟の7番目に生まれました
父が生まれた時代は
日本が戦争に傾倒していく…
そういう時代の中に生まれたんですね


話は変わりますが、生前、父は
「4つ」の辛いこと、よく話してました
たいがい、辛い話ばっかりでしたが
要約すると、おおかた「4つ」なんです


1つ目は、その「太平洋戦争の頃」
小学3年4年~中学2、3年まで
学校にも行かず、農作業に従事していたこと
自分の兄達はどんどん戦争に駆り出され
残った自分と、1つ上の姉、静子姉さん、
私からすれば伯母にあたりますが
静子伯母さんと、毎日毎日
肥だめを担いで歩いてたこと。
そして、食べるものがなくて
芋がら、すいとんばかり食べてて
本当に辛かったと。。。

2つ目は、「長兄の死」
長兄、一番上の兄のことですが
長兄シュンスケが、早くに亡くなったこと。

3つ目は、「長く患った自分の病気」
これは、長く長く辛い病気で
この病気にかかってなければ
もっと色んなことができたのに…って
ホントに悔やんでました


4つ目は、2010年12月
妻・久子が亡くなったこと。
これは、ホントにホントに、辛かった。。。


「マルちゃん、もう、
    いいよ、、、死にたいよ・・・」


よくよく母の話をすると
いつも嘆いてましたし
いつも、この「4つ」の話をしてました


いやいや、お父さんー、
辛いー辛いーって仰いますけれど
お父さん、、、お母さんと結婚できて
ホントに幸せだったと思いますよ
たしかに「戦争の時代」も
「長兄の死」も「長い闘病」も
辛いし辛かったと思うけど
お母さんとずっと一緒だったし
幸せの時代の方が長かったんじゃないの?
って、よく父に話してました


父は、ホント、どこに行くのも何をやるのも
ぜんぶ、母と一緒だったんです
子育ても、家のことも、稼業をするのも
全部母に委ねてたし、母を信頼してたんです
辛い時代よりも、そんな母と
一緒に毎日暮らしてた時代の方が長かったし
本当に幸せだったと思います。


だから、色んな創作活動にも
打ち込めたんです
父は、才能豊かな多才の人でした。

父は、オペラ歌手になりたかったんですね…
自ら独学で勉強して、国立音大声楽科に入学
当時、日本で有名だった
「有馬大五郎先生」に見いだされ
これからテノール歌手としてやっていく時に
喉を壊して、退学いたしましたが
その後、また独学で、日芸
今の、「日本大学芸術学部」入学。
在学時には、当時
○○と言う公募展に、最年少で入選。

また、現代歌人として
有名だった「中野◯◯先生」に師事。
96年には、歌集、短歌の歌集ですね、
歌集「◯◯」を発表。
また、同年96年12月
洋画家であった「長兄」の自伝を刊行。

1年で、2冊も書き上げたんですね


オペラも歌い、絵も描き、短歌を詠み、本も書く…この年で、こんなマルチな人は、なかなかいないと思います

これだけの創作活動ができる父を端から見てますと、実は、すごい「生命力」に溢れてる人なんじゃないか…「生命力」が強い人なんじゃないか‥って思うんです

口数は少ない人で、決して派手な人ではありませんでしたが、静かに、力強く、ゆったりと、強かに、しなやかに、そういう「生命力」が、父の根底に間違いなく存在したんだと思います



それを、ハッと実感することがありました


父が亡くなったのは、3月14日
ホワイトデーの日です
夜の、9時54分です

危篤を聞いて駆けつけますと
当直の看護士さんから聞いたんです…

ヨトローさん、夜8時30分の見回りの時は
ベットで両手を上げて
手のひらをグーパーグーパーして
リハビリされてたんですよ・・・って。


それって、亡くなる1時間ちょっと前のことなんですね。

その時の父は、黄疸が出て、白目も黄色くて
胸水(きょうすい)、いわゆる、胸に水がたまってて、酸素も、ろくに吸えなくて
熱は上がったり下がったりで、ボロボロの状態。本人すら、意識があるのかないのか
記憶があるのかないのか、そんな状態だったんです

でも、そんな状態でも
暗い病室、横たわったベットの上で
両手をあげて、リハビリをしてるんです

「生きる」「生きたい」「生きてる」って、そういう「生命力」が、父の、揺るぎない源、パワーだったんだと思います


悔しくも、87の命ではございましたが
そんな父の人柄や才能や人徳もあって
家族、友人、親戚、町会の方、短歌の方、
画の方、デイケア、ケアマネ、ヘルパー
その他色んな方に、囲まれて、愛されて
こうやって、みなさまにご参列頂けたこと
本当に、本当に、父は幸せだったと思います
やっと、あの世で、母と再会できること
すごく喜んでると思います。





この度は
父・ヨトロー(仮)の通夜・告別式
お忙しい中、ご参列頂きまして
誠に有難うございました


家族、兄弟に代わりまして
御礼の挨拶とさせて頂きます







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