アポロの窓からベトナムは見えたかい?
40代前半  大阪府
2017/12/21 20:07
アポロの窓からベトナムは見えたかい?
満面の笑みを浮かべながら彼は近寄って来た。

僕は知っている。
こんな時彼は決まって「くだらない話」を僕にしてくるのだ。

何度も何度も繰り返す、諦めの悪い男。

「なぁ、カジノくん。僕クシャミを止める方法を発明してしまってんけどな、知りたい?」

彼はいつもこうだ。
地味に僕の知的好奇心を奮い立たせる。

僕は食い気味に答えた。
「ししし、知りたいっす!!!」

皆さんどうですか?
ちょっとだけ知りたくない?

僕はこういう「ちょっとだけ気になる話」がたまらなく好きだ。人生を豊かにするのはこういう「ちょっとだけ気になる話」に興味を持てるかどうかではないか、とさえ思う。



彼はMさん。
当時50代、肌艶がある黒々とした髪の生瀬勝久似のおっちゃんだ。
僕がギター講師をしていた頃、音楽教室で生徒募集を担当していた営業マンだった。

このMさんのサジ加減、努力次第で僕ら講師の生徒数が増減し、生徒数に比例して僕ら講師の収入も増減する。

つまりMさんのトークと営業力に僕らの生活がかかっていた。

このMさん、実は関西の50代以上のバンドマンなら知ってるであろう有名ベーシストである。
中指と人差し指を立てて奏でる彼のフィンガーピッキングは力強く繊細だ。

その昔「優勝バンドは某有名企業のCMソングを担当出来る」という特典のコンテストで優勝し、CMソングがテレビで流れていたらしい。曲が使われなくなった今でも歌詞の一部がその企業のキャッチフレーズになっている。

ちなみにその大会の準優勝が小室哲哉のTMNetworkだと言うから驚きだ。

Mさんはそのバンドのリーダー。

アポロの窓からベトナムが見えたかい?

世代は違うが、彼と知り合った後この歌詞を見てその発想力に僕は震えたね。
「才能ってのはこういう事なのか」

「バンドは趣味」と言い放って彼らはどんな誘いを受けてもプロにはならなかった。
地元の幼馴染で組んだバンド、音楽を仕事にして仲が悪くなるなんて真っ平ごめんだと。

そしてMさんの日常生活は音楽教室の受付に収まった。

しかし残酷なもので、その才能と引き換えに神様は彼にとある重荷を与えた。

TENNEN

そう、彼は天然

「急いでるから先頭車両に乗る」
とか言い出すガッツ石松クラスの天然さんなのだ。



その日、僕はレッスンの休憩中に受付近くでアコースティックギターを弾いていた。
これは僕なりの営業活動。

モテる

僕らギター講師はモテなきゃいけない。
ギターに興味を持った人に「この人に習いたい」と思ってもらわなきゃいけない。

その為、僕は人前でさりげなくギターを弾いて人気者になる為のアピールをしていたんだ。もしかしたら誰か興味を持って、習ってみたいって思ってくれる人が現れるかもしれない。

しかし、アピールは時として招かれざる客をも招いてしまう。


満面の笑みを浮かべながら彼は近寄って来た。

「なぁ、カジノくん。僕クシャミを止める方法を発明してしまってんけどな、知りたい?」

え、何それ!?
クシャミを止める方法!?
どうでも良いよ
でも・・・
ちょっとだけ気になる!!

様々な感情が交差して僕は食い気味に答えた。

「ししし、知りたいっす!」

クシャミはまるで暴走機関車。
誰も止められない。
しかしMさんはその暴走機関車を容易く止められると言うのだ。

彼はセンターでキレイに分けた艶やかで若々しい黒髪をかき上げて誇らしげな眼で僕を見た。

「そか、じゃあ教えたるわ」

僕はギターを弾く手を止めた。
もはや営業活動なんてどうでも良い。
僕は彼の虜になっている。
今ならどんな商品だって買ってしまいそうだ。

彼は加藤鷹のように人差し指と中指を立てた右手を高々と上げ、振りかぶった。

ゴクリ・・・

僕は唾を飲んだ。
彼がモーションに入った・・・
いよいよ始まるのだ。

そして2本の指先を鼻下に優しく添えた。
その手つきはさすがベーシストだ。

「ここを・・・こうっ!!」

と強く言い放って彼は鼻下を強く押した。

・・・

静寂が流れた。

皆さんお気付きだろう。
僕も同じように思ったんだ。

それ・・・

カトちゃんぺ!!やないか!!


Mさんは勝ち誇った顔で黒髪をかきあげて僕を見ていた。
「今度試してみます」
と言い残して僕は教室へ帰った。

レッスンをしながらも僕はクシャミを止める方法を試したくてウズウズしていた。
とうとう暴走機関車を止める術を知ってしまったのだ。
「ふふふ、いつでも止めてやるぜ」
しかし、その波はなかなか訪れない。

教室の窓からちょくちょくMさんが覗いてくる。アポロの窓からベトナムを見るように。
彼は窓から嬉しそうに、先っちょを尖らせたティッシュを見せつけてきた。

自分でクシャミを出して実演する気だ!!

自作自演!?
気になる
気になりすぎる!!
僕はもはやレッスンよりもMさんに心を持っていかれている。講師失格だ。


レッスンが終わった僕は急いで受付へ向かった。早く・・・早くMさんの元へ!!

しかしMさんは接客中だった。
ガッカリしてる僕を見つけて彼は目で合図を送ってきた。

「アイシテル」のサイン
ならぬ
「アトデヤル」のサイン

僕がいつも通りギターを弾いてアピールしようとすると、Mさんが僕を呼んだ。
どうやら接客中のお客さんがギターを習いたいと言っているらしい。

僕はお客さんにギターよりもクシャミを止める方法を教えてやりたい気分だったが、そこは仕事だ仕方がない。

と言うわけで「僕と一緒に練習して上手くなりましょう!」と爽やかな笑顔を振りまいた。
僕の営業スマイル効果は絶大だ。

この人・・・あと一押しで・・・
落ちる!!

手応えがあった。
ここで実演でもしたら完璧だ。
幸い僕は今ギターを手に持っている。

「カジノくんは弾き語りもやっていt・・・」

・・・不意にMさんのトークが止まった。
どうしたのかと僕とお客さんはMさんを見た。

Mさんの意識はアポロに乗って宇宙へ旅立とうとしている。

「ハ・・ハッ・・・」

まずい、
ビッグウェーブ!!

や・・・やつだ!!
ヤツが来たぞぉぉぉぉぉ!!
こんなタイミングでいきなり機関車の暴走が始まったのだ!!
Mさんは目と口が淫らに半開きになっている。
もうダメだ止められないっ!!

しかしMさんは諦めない。
加藤鷹スタイルの指を作り右手をバイブレーションのごとく震わせながら大きく振りかぶった。

ま、まさか・・・
お客さんの前で「カトちゃんぺ」を!?
普通ならまずやらない。
ただこの人はド天然だ!!

予期せぬタイミング、いきなりの本番

2、3回投げた事がある程度のピッチャーが甲子園の決勝で投げるぐらい無謀だ!

彼の頭はもうすでに後傾している。
間に合わないっっ!!
Mさんっ、ここでやっちゃダメだ!

諦めたらそこで試合終了ですよ?

安西監督の声が届いたのだろうか
・・・Mさんは諦めない
そう、彼は諦めの悪い男。

Mさんの指先が鼻下に当てられた
もう限界だ、涙目になっている

やめろ・・・
まにまにまに間に合わないって!!
やめろぉぉぉおぉおぉぉっ!!
Mさぁぁぁぁぁぁぁっんんん!!

押しちゃダメだぁぁぁぁぁぁぁぁぉぁっっっ

押すなよっ!?
絶対に押すなよっっっ!?

ポチっ



ビクッ・・
ふぁっ・・っんん・・ん、むふっ
・・・ビクビクッ・・・ブフォッ

静寂が訪れた。
機関車は止まったのだ。

しかしわずかに遅かった。
その代償は大きかった。

何があったか説明しよう。

わずかに遅れたMさんの指先。
身体はもうクシャミのモーションに入っていた。その途中でクシャミが止まったらしく、体だけがクシャミの体勢で勢いを止められずに大きく揺れ鼻水をぶちまけたのだ。

カトちゃんぺをしながら

お客さんは固まっていた。
意味がわからないのだろう。
ドン引きしている様子が僕には手に取るように分かった。

空気は冷え切っている。

目の前のおっさんが突然話を止めたと思ったら、カトちゃんぺをしながら涙目になって「むふっ」などと奇声を上げて大きく揺れながら鼻水を噴き出したのだ。

Mさんは僕を見て涙目のままニヤリと笑みを浮かべた。
それは何のサインだ!?

その後お客さんは「入会するか考えてまた返事します」と言って帰ってしまった。

あと一押しだった。
間違いなくあと一押しで即決だった。

この天才ベーシストがお客さんの前で涙目で奇声を上げ鼻水を噴き出してビクビクと大きく揺れながら「カトちゃんぺ」さえしなければ・・・

普通にクシャミしたら良かったのに・・・
なぜだ、なぜ諦めなかった?
なぜ無理矢理に止めようとした!?
なぜ初体験をお客さんの前でささげた!?
僕はこの天然バカに一言いってやりたい気分だった。

しかし残念がる僕を見てMさんは誇らしげな目で黒髪をかきあげて言い放った。

「なっ?ちゃんと止まったやろ?」

うるさいわっ、アホっ!!



それから10年ほど経った時、僕はライブハウスにいた。あるバンドの35周年ライブだ。
そこには60歳を越えた元気なバンドマンがスポットライトを浴びていた。

スポットライトが生み出した光と陰。

もうすでに引退した僕からはステージ上の彼らが眩しく見えた。

アポロの窓からベトナムは見えたかい?

年齢、体裁、挫折、現実

僕はいったい何から逃げたんだろう。
そして僕は今、何と戦ってるんだろう。

ねぇMさん、教えておくれよ。
あなたは今、何と戦ってますか?

Mさんが髪をかき上げた指の間からは少し白くなった髪が見えた。
きっとそれこそがベトナム兵にも負けない歴戦の勇者の紋章。
マイクを通したMCの声は溌剌として昔と何も変わっていない。

「えー、相変わらず諦めの悪い奴らで仲良くバンドやってま・・・
・・・へエーックシュッ」

突然のクシャミで会場が和やかな笑い声に包まれた。
舞台の上ではスポットライトを浴びながら、おっさんになった幼馴染メンバーに肩を叩かれてMさんが恥ずかしそうに笑っている。

線路は続くよ、どこまでも
きっと機関車は走り続けるのだろう
そして彼は今日も先頭車両に乗るんだ

駅に止まった列車が走り出すように、やがて次の曲が始まった。

アポロの窓からベトナムは見えたかい?

彼はステージから僕を見てニヤリと笑った。

僕は懐かしい中指と人差し指から生み出される、挑発的なエイトビートのメッセージに包まれた。
フィンガーピッキングは相変わらず力強く繊細だ。

きっと俺だってまだまだやれる
あんたに負けるなんて真っ平ごめんだ

僕はステージの下から、ライトに照らされている諦めの悪い勇者に目で合図を送った。

精一杯、「モウニゲナイ」のサインを。
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コメント

40代前半  大阪府

2019/02/13 10:45

10.  >>9 宥恕さんさん
コメントありがとうございます。
この日記はまさしく「動きを文章で表現する」という事にチャレンジしたものだったので着目していただけて嬉しいです。
宥恕さんさすがですねぇ。
「黒髪」というワードがMさんの若々しさと時間の流れを表して、指使いの動作をベースの演奏とカトちゃんぺでリンクさせたりと文章は拙いものの個人的には地味に上手く書けたとアポロの窓からニヤニヤした顔で眺めているカジノでした。

70代以上  北海道(道北)

2019/02/12 16:10

9. 勿体なさすぎて少しづつ大切に読ませて頂いてるのですが、ほんとに天才ですね
動作の描写がほんと素晴らしい
アポロの窓からカジノを見ていたい

40代前半  大阪府

2018/09/11 19:23

8.  >>7 めぐさん
コメントありがとうございます^ ^

そう、出会い系でこんな日記が無料で読める!!まったくもう僕の日記を読まない人はきっと人生損してる(はず)!!

また新作書いたらアップしますのでぜひぞひ読んでくださいね~!

40代前半  石川県

2018/09/11 16:10

7. いやぁカジノさんの日記、ほんとたまりません。

わたしのツボにピンポイントです(T∀T)

一人で笑っちゃうので要注意だけど。

Mさんとカジノさんの様子が微笑ましすぎるし、Mさんの天然っぷりは笑えるし、わたしも音楽好きなので興味あるし、すっごくおもしろいのに、少し考えることあったり。

カジノさんの日記を読むと感情やら知的好奇心やら何やらいろいろ刺激されて、ものすごい満足感を感じます。

後になってのコメントもうるさいかと思って、するつもりもなかったですが、あまりにおもしろかったので。

40代前半  大阪府

2018/04/26 10:25

6.  >>5 とりあえず マリアさん
コメントありがとうございます^ ^
たくさん読んでいただいて感謝感謝です。

Mさんが目でサインを送ってくる時、だいたい良くない事が起こっちゃうんですよ。
でもね・・・まさか初対面のお客さんの前でいきなり試すとは・・・

ドラクエは終わっちゃうのが寂しくてクリア寸前で寸止めしてます。
さぁレベル上げでもしよっかな(アトデヤルのサイン)

名無し[退]
70代以上  東京都

2018/04/25 22:51

5. アトデヤル のサイン
笑いすぎて泣きましたっっ
カジノさんの日記、涙なくしては読めませんね。
時間差コメ度々すみません!

今日も1日(ドラクエ)おつかれさまでした〓️

40代前半  大阪府

2017/12/21 23:59

4.  >>2 愛~恋してます(*´∀`)さん
あ、過去何度かカトちゃんぺでクシャミ止めた事ありますよ!

本当に止まったので良かったら一度試してみてください^ ^
くれぐれも最初は誰もいないところでね(笑)

40代前半  大阪府

2017/12/21 23:58

3.  >>1 凛さん
コメントありがとうございます^ ^
好きな事を仕事にするのは幸せな事だけど、好きな事を続けたいから趣味のまま楽しむってのも幸せな事なんだなぁって思います。

この歌詞の曲はなんだかんだ言って結局オレたちミュージシャンはやっぱアメリカが好きなんだよねって曲なんだけど、当時の僕はこの一言が表現する世界観の深さに度肝を抜かれたんですよね。

諦めが悪くバンドを続けられるってのは、諦めのいい僕には羨ましい限りです。

40代前半  大阪府

2017/12/21 23:35

2. やっぱり今はカジノさんも加トちゃんぺ!でくしゃみを止めてるんですね~(笑)

タイミング大事なんですね~(^o^)

是非動画にアップしてください♪(^^)/

40代半ば  大阪府

2017/12/21 22:53

1. 人類最高の夢を叶えながら人類史上稀に見る残虐さを見せた矛盾さを端的に表したフレーズだよね。

好きなことだから仕事にするのか、好きなことだから仕事にしたくないのか、どちらも分かる気がする。

でも、きっとそこに正解なんてなくてみんな、クシャミを我慢するように生きてたまに我慢出来なくてカトちゃんぺをしちゃうんだよ、多分。

カジノさんの日記はいつも面白いけどちょっとだけ物悲しい。
でも今回は相変わらず輝いてる素敵なバンドマンたちの姿にほっこりしました。

こしあん派です。

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