今、何か「風の音」が聞こえた・・・

僕がそう思った時
そこには必ずヤツがいるのだ。

「しゅしゅ、しゅいてて良かった。
　・・・あー、なるほど！
　今日はしゅき焼きがあるからカレーうどんしゅいてるんかぁ。」

本当によく喋る男だ。

ヤツは僕の顔を見るなり話しかけてきた。

「お、めじゅらしぃなー！
　カジノ意外とカレーうどんしゅきなの？」

説明しよう。

ヤツの名は栗林さん。
通称クリちゃん。
50歳独身、丸坊主に度の強いメガネという
イケメンとは程遠い風貌。
部署は違うものの僕の先輩に当たる。

その見た目とは裏腹に、集中した時の彼の仕事ぶりは「センサーよりも正確」と評判の名物社員だ。

彼は出来上がった製品の最終検査を担当している。言わば製造工程におけるセンサーのような存在だ。

中でも製品のミクロレベルの加工不良、
いわゆる「突起物」を見つけるプロ。
クリちゃんだけに。

性格は陽気である一方、デリカシーがない。
もちろんいじられキャラで、本人はいじるのもいじられるのも好きみたいだ。
クリちゃんだけに。

そして何より
「前歯がない」
これが彼の最大の特徴だった。

しかし今では一周回って
「前歯がある」
というのが彼の特徴だ。

どう言うことか説明しよう。

彼は全ての歯を虫歯でコンプリートした
「虫歯界のメッシ」
と呼んでも過言ではない逸話を持つ。

虫歯により上の前歯が1本抜け落ち「前歯のない男」として40代を過ごした。
しかしその後も虫歯は進行し、最近残った前歯を挟んだその隣の歯が抜け落ちるという悲劇に見舞われた。

同僚とタピオカミルクティーを飲みながら談笑してた時、笑った瞬間に前歯が飛んで行ったらしい。

「人間は自分の前歯が飛んで行った時、ダッシュで拾いに行くという事が分かった」

と同僚が教えてくれた。

その結果、前歯一本だけが残っている
というなかなかナイスなおっさんなのだ。

それ以来、彼の滑舌は悪化・・・というよりも「しゅーしゅー」と息が抜けた感じとなり、一部では「風の神」と呼ばれている。

そんなクリちゃんが社員食堂の「うどんコーナー」で僕に話しかけてきたのだ。

僕の勤める会社の社員食堂は、定食ではなく単品販売となっている。例えば唐揚げ定食を食べたいなら、唐揚げとご飯と味噌汁をそれぞれ取ってお盆に乗せて席まで持って行くスタイル。

支払いは食後、お皿をお盆に乗せて返却口に持って行く。

そこにある機械にお盆を入れると、センサーが食器を読み取って合計金額が表示される。
そして機械に食券カードを当ててピッとすると支払いが完了するシステムだ。

最近どうもこの機械のセンサーの読み込みが悪くて、間違った合計金額が表示される事があるらしい。


うどんコーナーで僕は「風の神」とカレーうどんの出来上がりを待っていた。

社員食堂のカレーうどんは人気メニューだ。
それだけにメニューが「カレーうどん」の日のうどんコーナーは結構混雑する。

しかしこの日は別のエリアで「すき焼き」があったので、カレーうどんが空いていた。

冒頭のクリちゃんの発言は、この状況を説明したかったのだと思われる。

カレーうどんが出来上がると僕はクリちゃんから離れ、彼が座れない、いや「風の神」が「しゅわれない」1人用座席に座った。

返却口の近く、ここは僕の定位置だ。
食事中は誰にも邪魔されず自分の時間を過ごしたい。

やっぱ・・・あの隙間に・・・
あの前歯のしゅきまにうどんをくぐらせるのか？
なぁクリちゃん、そうなのか？

そんな興味も湧いたが
「前歯のないおっさんがカレーうどんを食う姿」
を見ながら食事したくないという思いが勝った。


一方その日の社員食堂では、そんな僕の安らぎの時間を邪魔する事件が起きていた。


僕の座席は返却口の近く。
目の前には最近センサーの読み取りの悪い「会計の機械」がある。

いつもと違う光景

食堂業者のおばちゃんの1人が返却口の横に立っている。

彼女は50代後半ぐらいだろうか。

ムッチリとしたカラダで昭和を思い出させるソバージュのようなパーマ。
顔はジャガー横田似で眼光が鋭く、僕らは「アマゾネス」と呼んでいる。
愛想は良いんだけど眼光はギラギラしていて、なかなかパンチの効いた性欲の強そうなおばちゃんだ。

会計の機械がちゃんと正しい金額を表示しているかをチェックしているのだろう。

食い逃げを防ぐ門番

アマゾネスにはピッタリだ。

そしてお盆を入れる「会計の機械」の横には
貼り紙が貼られていた。


「奥までしっかり入れてください」


もちろんコレは食器の読み取り不良を防ぐために「センサーの検知しやすい位置までお盆をしっかり入れてください」という意味だ。

しかし40代思春期真っ只中の僕にとっては

「奥まで入れて」って・・・
・・・狙ってるやん！！
コレ絶対狙ってるやつやん！！

となる。

しかも「奥までしっかり入れてください」の「ください」の位置に、物憂げな表情のアマゾネスが「ナニかを欲しそうな顔」で立っている。

つまり僕の位置から見るとアマゾネスの口の横に

「奥までしっかり入れて」

と、まるで貼り紙が「アマゾネスのセリフ」みたいな漫画状態になっている。

ギラギラした目つきのアマゾネスが僕の脳内で語りかける

「奥まで入れて️」

アwwマwwゾwwネwwスww
いやいや無理無理無理無理！！
欲しがってんじゃねぇよ
眼光ギラギラしすぎ！！
エロい！！あんたエロいよwww

と僕はツボにはまってしまい、ニヤニヤが止まらない。

そんな僕を横目に、食事を終えた4名の若手社員達が返却口に向かう。

アマゾネスは目をギラギラさせた肉食獣のように若手男性社員を品定めしている。

そして1人ずつに声をかけた。

「ありがとうございました～」
「ありがとうございました～」
「奥まで入れてね」
「ありがとうございました～」

あれ？

僕はふと思った。

今、小林くんにだけ「奥まで入れてね」って言った・・・なんだろう、この違和感。

続いて女性社員3名が返却口へ向かった。

「ありがとうございました」

アマゾネスは3名に向かってそう言った。
その口調はとても事務的だ。

その後、返却口には食事を終えた男性社員が列を成した。

「もう少し奥までいいですか？」
「ありがとうございました～」
「ありがとうございました～」
「奥まで入れてね」
「ありがとうございました～」

アマゾネスの口調は先ほどの女性社員達に対する挨拶よりも若干トーンが高く、愛想良く感じられる。

・・・ははーん、アマゾネスよ

やってくれるじゃねぇか！！
この神聖なる社員食堂で男に色目使ってんじゃねえよ！！

そんな事を考えながら、1人でカレーうどんをすする僕の横を颯爽と歩く1人の男性社員。

社内で1番のイケメン社員と言われる渡辺だ。

良い獲物を見つけた、とばかりにアマゾネスの眼光はさらに強まった。

「奥までし～っかり入れてくださいね～ぇ」

・・・なんだその猫撫で声は！！
しかも若干「カリ」を強調してなかったか？

いや・・・待てよ・・・
なんだこの違和感・・・！！？

その時、僕は「ある法則」に気付いてしまった。

そうだ！間違いない！！

このババア！！
さっきからイケメン風な男の時だけ「奥まで入れて」系の言葉を使ってやがる！！

まさか・・・こいつ・・・

こんな公衆の面前でイケメン相手にエロ用語を出して妄想の中で奥まで突かれる「脳内セックス」を楽しんでるんじゃないのか？

僕は鳥肌がたった。

静まれ！静まりたまえ！！
我が名はアシタカ

アマゾネス、貴女は肉食獣じゃない！
性獣だ！！！
いや「性の神」だ！！

と「もののけ姫」の主人公を演じる一方で、僕の脳内ではある疑問が湧き上がった。

自分が返却口の前で彼女に対峙した時
この「性の神」はオレにどんな判決を下すのか？

オレはイケメン枠に入れるのか？
そしてアマゾネスの脳内で「性の生贄」として「奥までツクツクマシーン」と化すのか？

空になったカレーうどんの器が語りかける。

生きろ。そなたは美しい


勝負の時・・・か・・・

僕は決意を固め、返却口へ向かった。
そこには眼光鋭きオッコトヌシ、いや「性の神」が舌舐めずりして待ち構えている。

その瞳は
「さぁ坊や、そのお顔を良く見せなさい」
と僕に語りかけているようだ。

そして「性の神」は言った。



「ありがとうございました～」

・・・・え？



敗北

はりーつめたーゆみのー

というバックミュージックが流れた。


我が名はカジノ
「性の神」の「オカズ」にさえなれない男

カレーうどんにもすき焼きにも勝てない。
関東人にとっての「お好み焼き」みたいなもんさ。



僕は1人シシ神の森を抜け、社員食堂の出口に向かった。

そんな時、背後から「風の音」が聞こえた。

こだま？

いや、僕がそう思った時
そこには必ずヤツがいるのだ。

「しゅしゅしゅ、しゅみましぇーん！
　通りましゅよー」

ヤツが向かう先は食器返却口

ク・・・クリちゃん
いや彼は・・・「風の神」！！


そして返却口で待ち構えるのは
「性の神」アマゾネス

そのギラついた瞳は
「おや、次の獲物はあなた？」
と語りかけているようだ。


前歯を持て余した「風の神」
vs
性欲を持て余した「性の神」

しかし勝負の結果は目に見えている。

やめろ！！クリちゃん
・・いや、風の神！！
華奢な丸刈りメガネにその前歯

どの角度から見てもコミカルだ
イケメンとはほど遠い！

風の神よ
あんたじゃ太刀打ちできない！！

静まれ！静まりたまえ！！


性獣アマゾネスは言った。

「奥までしっかり入れてくださいね～」


・・・ん？

なに！？
奥まで入れて・・・だと？

おい、アマゾネス。
そこにいるのはおっさん
いや「前歯のないおっさん」だぞ？

な、なんだこの展開は・・・

「イケメン奥まで入れて」の法則が崩れた。

まさか・・・まさか
全てオレの勘違いだったのか？

すまない、アマゾネス。
あんた、性の神ではなく
ただの「親切なおばさん」だったんだね。



会計を終えた「風の神」

彼は食堂出口で呆然と立ち尽くす僕の前を通る時、ふいに話しかけてきた。

「あの機械、シェンシャーの感度調節したら、しゅぐ直るのになぁ」

そう、彼はセンサーのプロフェッショナル。

例え前歯がなかろうと
うちの会社にとっての宝物だ。


雑に扱っちゃだめ
丁寧に、丁寧に扱わないと
クリちゃんだけに


人を見た目だけで判断しちゃいけないね


僕は職場に戻る廊下を歩きながら
ふと、そうつぶやいてみた。