皆さん、今年1年、
ありがとうございました
ワクワクでも
たくさんの出逢いがあり
そのどれも素晴らしく
私を支え、
毎日を彩ってくれました
恒例の遺書書きですが
(前日記参照)←開きすぎ
今年は震災で何人もの人が、私が死んだら
‘知らせる人’から
‘思い出の人’に、
なりました
この遺書で、
私は《死に方》についても書いている
簡単に抜粋
↓↓↓↓↓
災害に巻き込まれたら
“諦めること”を
学んでください。
犯罪に巻き込まれたら
“許すこと”を
学んでください。
決して、
運命を呪ったり
誰かを恨んだりは
しないように。
と、書いている
これは、
残された子の人生が
私の死によって暗くならない様に…と願って
そして、
可哀想よりありがとうの方が、ママは安心して天国へ行けます
と、結んである。
私は
寿命だろうが
病死だろうが
事故だろうが
ただ【死に方の種類】
でしかないと思っている。
大切なのは
可哀想で終わらせない事。
誰だって、
可哀想よりありがとうの方が、居心地がいいに
決まってる。
生まれたときは
『ありがとう』で
迎えられ
去り行くときも
『ありがとう』で
送られたい
よね
だから、私は
泣きながらでも、
亡くなった1人1人に
ありがとうと言った。
悲しいことは、
不幸じゃない。
喜怒哀楽は幸せな感情
喜楽は幸せで
怒哀は不幸と考えるなら
不幸の原因は、
その考え方にある
悔しかったことも
悲しかったことも
それは、
不幸の原因にはならない。
終わり良ければ…
全て良し
どんな出来事も
最後は“ありがとう”の、引き出しにしまうことで、人は豊かになる
豊かになるとは
考えが深く、
心が広く、
志が高くなること。
考えが深くなれば
理解出来る事情が増え
心が広くなれば
大きかった出来事が
どうでもいい小さなことになり
志が高くなれば
自分がまだまだ未熟な事に気がつく
そして、
人を許せるようになる
許せないものがない。
それはそれは
『快適な世界』
過去の出来事の扱い方で、未来も変わる
大掃除とともに
嫌な出来事も
心から引っ張り出して
捨てるか(≧▽≦)
感謝の引き出しに
しまい直して
(嫌 ^_^)人(^_^良 )
さっぱりと良いお年を
お迎えください
ヽ(´▽`)/ ~