こちらは少し寂しいょ[涙]
40代前半  東京都
2012/03/10 19:50

【テーマ】震災から1年

こちらは少し寂しいょ[涙]
3月11日がやって来る。

私の大切な人達の命日が。


私の両親は
共に宮城の出身。
親戚の殆どが、
家が流されるか
亡くなるか
の、被害を受けた。


わたしは当初、
震源地は東京か千葉だと思っていた。
しかし、それが宮城沖と
知り、血の気が引いた…

東京でこれだけ揺れて
一体宮城はどうなるの。
と。


わたしはとりあえず
一番仲が良いひとつ年下の従姉妹に電話をかけた。

しかし、すでに通じない。

母が半ばパニックになって
電話をしてくる。

わたしはわたしで、子を
学校に迎えに行かなくてはならない…


と、ふとみた映像に津波の光景が。

うちの親戚は全て沿岸部にいる。
石巻、多賀城、雄勝、
女川…

特に雄勝の叔母の家は
海岸から100メートル程しか
離れていない。

見ていられない
見ていられない

子を迎えに行く足がもつれる。

防災頭巾を被った可愛いゆきん子たちは、目を皿のようにして自分のパパとママを探していた。

わたしは何故かこの光景が平和に見えてしまった。

余震が来て、ゆきん子達の悲鳴があがる。

でもここに津波は来ない…

心臓がバクバクしながら
そんなことを考えていた。

急いで帰り、
テレビに張り付く。

次の日も次の日も。

親戚と連絡がついたのは、3日目の朝。

母は兄弟姉妹の誰かは
欠けてしまったと、覚悟をしていた。

けれど行方不明になったのは、若者ばかりだった…

どこを探しても見つからない姉妹のような従姉妹は新婚4ヶ月だった。

『迎えに行く待ってて』

彼にした最後のメール。
彼(旦那)は、
車椅子の人だった。


従兄弟の子はまだ高校生。

彼は行方不明のまま…

ゆらゆらと海に還ったのだろうか。


従兄弟はお盆を前に
彼の死亡届けを出した。

出したくない
認めたくない

けれどお盆に行く場所がなければ可哀想…という親の心。


彼女はゴールデンウィーク過ぎに、車の中でみつかった。

みんなは
“津波に向かって行くなんて…”と言ったが、
わたしは彼女はただ、彼に向かって行ったのだと、そう思った。

生に向かって逃げ
彼に向かって行き

みんなそれぞれ、大切なものに向かって行ったんだな…と思ってる。

亡くなった方はきっと
手に手をとりあい
天国に行ったのだと思う。

だから、
寂しくなんかないよね。
こっちは少し
寂しいょ…
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