朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期①序(一部抜粋)興味がある方は必見。
50代前半  福岡県
2014/06/02 13:26
朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期①序(一部抜粋)興味がある方は必見。
大型客船沈没事故から韓国は様々な問題が噴き出してきた。

また他の事故も続出した。
当たり前の事だが、これらの事故をみて、朝鮮半島の歴史をあまり知らない多くの日本人はこの国を疑問に思い始めたのだ。

先ず、知識を得る為にもこの紀行は貴重な一冊ではないかと思っている(興味がある方は書店で購入をお薦めする。もしくは公共の図書館を活用されるのも良い)

海外報道で疑問を持たれる方にもお薦めです。


また崔基鎬氏著書の「日韓併合の真実」を平行して読むと状況が掴み易いでお薦めします。


①序では一部抜粋残り略としたが次回日記についての②以降は簡素になるのでご容赦頂きたい。



 光栄にもわたしはビショップ[バード]女史から朝鮮に関する著作の序文を、二、三の所感を含め、著者とその内容の紹介かたがた書いてもらえないかという依頼を受けた。
 ビショップ女史は旅行家としても作家としても高名であり、ここで改めて読者にご紹介するまでもないが、しかし朝鮮は何世紀にもわたり鎖国を続けてきた国であるだけに、そこに住む人々の性質、制度、特殊性についての報告、国情が局面にある現在ことに興味深く、女史が朝鮮の人々を長期に渡り密接に研究した上で至られた結論に、ここでわたしも賛同する機会が与えられたことは嬉しい。
 私もその一人であるが、朝鮮をその開国当時から知っている者は、女史の観察眼の細やかさ、書かれた事実の正確さ、推論の適切さにひたすら感服せざるをえまい。女史は異例の便宜に恵まれていた。国王と王妃からはそれまでどの外国人旅行者もなしえなかったほどの信頼と友情にあずかり、ソウル在住外国人社会、官僚界、伝導団、商人からは自由に使用できる貴重な情報源を提供され、また一方で折しも朝鮮は日清戦争の戦中戦後という局面にあり、これまで誤報や誇張でうやむやにされてきた極東の歴史的事件の様々なディテールを公正かつ正確に記録する好機にも恵まれた。朝鮮国内を旅行中に遭遇された苦労や困難について女史は軽く触れられているが、その苦労や困難がいかに大変なものであるかを知っている者としては、それを乗り越えられた女史の勇気と根気と忍耐力に感嘆を禁じえない。

 朝鮮についていくらかでもご存じのすべての人々にとって、現在朝鮮が国として存続するには、大なり小なり保護状態におかれることが絶対的に必要であることは明白であろう。日本の武力によってもたらされた名目上の独立も朝鮮には使いこなせぬ特典で、絶望的に腐敗しきった行政という重荷に朝鮮は喘ぎ続けている。かつては清が、どの属国に対しても現地の利害には素知らぬ顔の態度をくずさぬまま、助言者としての役割を担っていたが、清国軍が朝鮮から撤退後は日本がその役目を請け負った。最も顕著な悪弊を改革する日本の努力は、幾分乱暴に行われはしたものの、真摯であったことは間違い無い。しかしながら、ビショップ女史が指摘されているように経験に欠けており、また日本の外交官のひとりが、東洋諸国の外交術から切り離すのは不可能かとも思われる陰謀の気風に走り、自国の大義を測り知れなく損ねてしまった。日本の着手した仕事は状況の趨勢からロシアが引き継がざるをえなくなり、恐怖に駆られた国王は、国王にあらずとも強靭果敢な人間が充分に怯えかねないテロ行為からの救出をロシア公使に訴えた。公使官邸に国王を保護をしていたからこそロシア政府が発揮できたはずの影響力が、公使を通じて落胆を誘うほど控えめに及ぼされたことは、いかに偏った酷評家であれども認めざるをえまい。しかしながら、その卓越した組織能力と経営能力を極東在住の外国人すべてが認めるところであるイギリス人、朝鮮税関長[海南総税務司]兼政府財政顧問官マクレヴィ・ブラウン氏の尽力により、朝鮮の財政はかつて経験したことのない均衡状態にたどりついている。ブラウン氏の行った改革はこのほかにも多々あり、また雇用されている官吏の国籍にはこだわりなく寄せられた、ロシア公使の誠意ある支援と協力のおかげでなしえた改革もある。 
 とはいえ、以前手をつけられていない問題も多い。発展を目指した前進――公正を期すためにいま一度繰り返すが、始動させたのは日本である。そして現在はロシアの保護のもとに継続されている――を達成するために唯一望みを託せる道は、鋼鉄の握力で手綱を引き締めつづけることである。が、ロシア政府すじはこれまでのところ先人の日本より慎重で、ビロードの手袋をはめ手綱を隠している。本書に描かれたロシア領土に住む朝鮮人移住者のようすを見れば、配慮と温情のある規制のもとにおかれた彼らがいかにその境遇を改善しうるかがわかる。朝鮮本国も、政治的配慮はすべて脇に置き、列強のいずれかがこのような保護を行えば、国民の暮らし向きは大きく前進するはずなのである。それをなんと呼ぶにせよ、何らかの形の保護または監督なくしては、職権濫用、搾取、そしてそれに伴う窮乏の旧態へ退行してしまうのは必定である。………以下略

1897年10月ウォルター・C・ヒリアー

1894年から三年余、ビショップ婦人は四度に渡り朝鮮各地を旅した、その紀行である。
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