見えない器
よく、この世に完璧な人なんていない、と云う
それを聞く度に、我々人間が考える「完璧」とは何なのかと疑問が湧く
不完全である我々が考え出す「完璧」ほど醜く異常なものは他にないことだろう
いつの間にか擦り込まれた常識という容器のなかに人は何でも納めたがる
だが、人は機械ではないし道具でもない
器であることをやめようではないか
さて、心とはどこにあるか?
言うまでもない、心とは目に見ることも触れることもできないものだ
それでも確かに心は在る
だから、人は自分の心を自由に育てることができる
どうせなら高く大きな心を持とうではないか
空よりも高く、海よりも深い心を求めようではないか
人の心は何でも入るが、何でも入れてよいわけではない
願わくは、人々の心がいつか大空を包まんことを希う