我が道を往く人へ
大阪に住んでいた頃、ある休日のことだ
私は石切参道商店街をぶらついていた すでに新型コロナウィルスが流行し始めて、以前の賑わいが消えて久しかったが、境内にはお百度参りの参拝客が犇めいていた その光景は見慣れたものだった 石切神社は近代以降「デンボの神さん」として親しまれていて、医学的なガン治療の望みを絶たれた患者やその家族が日々全国各地からお参りに来る名高い神社である 事実私がここの境内に来ると必ず誰かしらがお百度参りをしていた いつかの大型颱風の迫る大雨の日にも小柄な媼が一人お百度参りをしていて、その面差しには悲愴さなど微塵もなく足取りもしっかりしていたことが今も時々思い出される
参拝をすませると、甘酒か蓬団子をいただくことにしていた 日差しを避けてテントの端にいると、団子を焼く手の止まった女店主と少しばかり話すこともよくあった 客足が遠退いて商売が厳しいとか、私が着流しで来るから着物の話をすることもあった いつになったら元の生活に戻れるのかねぇ、と言う「元の生活」とは単なる過去に過ぎなかった 感染症が人々の記憶を去るには百年くらい軽くかかるに違いない 私がそれを言うと、いくらか気落ちして見えた 無理もないことと思った それでも生きていくしかないからねぇ、という、そういう覚悟を持つ人々だからこそこの商店街で生き残ってこれたのだろう 来るたびにシャッターの下りた店が増えていた それを見るのは私も辛かった
参道に流れるオルゴールのBGMが苛立ちや焦燥をいつも鎮めてくれた 『世界に一つだけの花』『マリーゴールド』の優しい音色が今も思い出されてくる 傾斜のきつい参道を振り返ると晴れた日には大阪市内のビル群がよく見渡せた
山頂に向かっていくとシャッターの下りた店がいよいよ増えていて、何かと見ればその多くは占い屋なのだった
この商店街は昔から占い屋が林立し、大半の若い娘さんなどはそれを目的として石切に来るらしいから、蓬団子と並ぶ名物の一つである 平生ならば占いなど金を払ってまで受ける気にはならないのだが、この日は少し気分が違った 日頃儒学に親しんでいるから易占や四柱推命、五行については聞き齧ってはいたし、一件だけ初老の男性が座っている店が妙に目に付いたのだった ここでは特に男の占い師は珍しかったからである
「どれ、空いているなら一つ頼もうかね」
「あ、どうぞ お座りください まずは消毒を……」とポンプ式容器のジェルを差し出された
「どの業界も大変ですな 客が来ないのに余計な出費が嵩む」
「致し方ないことですけどね それではさっそくお手を」とまずは手相を観てもらった
しばらくして占い師は言った
「…………これは今時めずらしい手相ですよ」
念のために言っておくが、私は手相について無知ではなかった ことに自分の手相については全く面白味のない相をしていることを知っていたのだが、形ばかり「どのようにめずらしいですか」と訊き返した
「まずね、非常にクセが少ない」
「ほう」
「手相ってのはね、有名な方や芸能人の方なんかは非常にクセの強い手相をしているって皆さん聞いたことがあると思いますけどね 実は、世の中にはクセのある手相をした人のほうが断然多いんですよ ところで、彼、生年月日は?」
普通、相手のことを「あなた」と言うところを「彼」と、また自分のことを「私」と言わず「おじさん」と言うのがこの占い師のクセであるらしかった
「占いの世界ではね、彼の1986年、五黄の寅、しかも丙寅………これは最強の上をいく最強の運勢なんですね それにこの手相、今時こういう人はめずらしい」
着流しだから服装からしてめずらしいことは間違いなかった もちろんそれは占いとは関係なかったが
「あの、おじさんがね 彼に言いたいことはね こういう運勢の方は『我が道を往く』でいい、ということなんですね
つまり、就職やら結婚やら、地元に帰るか、このまま大阪に居着くか悩むことはいくらでもあると思うんだけどね 彼にはそのすべてを乗り越えてなお、自分のやりたいことを実現できる強さがあるってことを言いたいんだよね
おじさんもね、九州生まれでこの道に入るためにまず北海道に行って弟子入りして、次は青森、仙台、東京 そしてこの石切に落ち着いたわけなんだけどね
結婚だって様々ですよ 今に始まったことではないですけどね 今は特に法律に縛られない男女の在り方が本当に多様化している時代です
仮に早くに結婚したってね、おじさんみたいに二十代に結婚して二十年後に死別するってこともありますからね だから人生なんて正解がないんですよ
特に彼のようにね 丙、つまり太陽の下に生まれた人は自分の信じる道を突き進むのが一番だと、おじさんは思います」
なかなか実直なおじさんと話ができて楽しい時間を過ごせたことが何より良かった
部屋の奥に扁額が掛けられていた
西郷隆盛の「敬天愛人」であった
「ほう、敬天愛人ですな あれは西郷卿の」
「そうなんです 結局この言葉が一番好きなんですよ」
私はこのおじさんを大変好ましく思った 九州から出てきた若者が占いを志して日本各地を転々するというのは思えば過酷なことである そうして全国に顧客を得て占い一本で身を立ててきた人というのはそれ相応の人格を多くの人々に愛されてきたからに違いないと思った
天を敬い人を愛す、私自身はそんな言葉に何も惹かれないのだが、それはそれでよいのだろう
誰かの言葉が人を生かすことがある
それだけは確かなことだと信じることができれば、それだけでこの出会いには価値があったのだ
五月の連休は石切に立ち寄ることができなかった
八月には石切に行こう おじさんの店のシャッターが開いていることを切に願う