孤独と向き合う
現代とは孤独と向き合いにくい時代である
スマートフォンさえあればたやすく誰かと連絡を取ることができるし、SNSを用いれば見知らぬ人とさえ連絡を取ることができる
インターネットの最大の弊害とは何か
私個人は「安易に人と繋がり合うことにより、安易に慰められること」だと思っている
たとえば退屈、暗闇、悲哀、飢餓、穢れ、老いと死である これらは忌むべきものとして、都市生活はこれらを極限にまで排除し、五感に触れぬよう苦心の上設計なされている
成程、それはある面において便利であり快適かもしれない
然しながら、凡そこの世に存在するものとは一面的なものではない
形あるもの名のあるものは例外なく光と闇との両極を有している
いま人間のしていることとは、世の理の片側に背を向けて黙殺するが如きもの
これを反知性主義という
たとえば樹である
春は花、初夏から晩夏には緑を育み、秋には枯れて冬には人知れず蕾を養う
桜を愛する人は世に多けれども、その実は春の花しか見ていない 花が散れば再び春が巡るまで、桜のことなど忘れ果てているものである
桜の本質は花ではなく樹であるのだが、現代そんなことを考える人間は極めて少ないと思う
樹は地中深く根を張るが、その長さは枝ほどもあるという 目に見えぬものは存在しないのではない 人間の理解など世の理に遠く及ばないというだけである
いま、人間が孤独と向き合うことにも二様ありと言ってみよう
淋しさや退屈を覚えて、その都度に誰かと連絡を取り合いSNSを覗いていたら、それは単なる暇つぶしに終わる 忌むべきものとして世の理の片側に背を向けて、樹に相当する根を養うことをしない これほど生命として貧しいことはない
世間が忌むべきものもまた真理の反面として向き合えるのならば、これほど豊かなことはない
どんなに貴重な経験をし、どんなに立派な話を聞き、本を読もうとも、人は独り心に己を沈めて深く熟考しなければ精神を養うことができない
現代人は本当の空腹を知らない 腹の状態に構わず三食喰らい、暇を見つけては間食するから、物の旨い不味いどころか、自分が本当に何を食べたいかすら知らない
現代人は自分の本当にやりたいことを知らない 日頃からあまりに忙しく働き過ぎるために、日常のあれこれに心の大半が埋もれてしまう それだから世の多くの人は自分で自分を正しく把握することができない さながら氷山の一角程度の顕在意識を自分自身と誤認している
何をしたいかを知るためには、一定期間何もしないことが必要となる
孤独と向き合える人だけが本当に生きることができる
孤独は生きているかぎり、死ぬまで纏わりつくものである
結婚しようと子供が生まれようと、時が経てば経つほどに孤独の影はより大きく濃くなるものである 得るものが増えるということはそれだけ失うものも大きくなるからである 人は死ぬまで孤独から逃れることはできない所以である