誰かの幸せのために
30代後半  埼玉県
2022/12/07 21:00
誰かの幸せのために




自分を大切にする、という意味が今もよくわからない




危険な仕事や他人の嫌がることを率先として引き受けることが多いのは、自信があるからではない 半ばヤケクソだった それが偶々上手く行って「あいつは胆力がある」とか「勇者だね」と言われてきた 当然嬉しくなんかなかった


どんなに苦しく辛いことがあっても、誰かが助けてくれることは無い むしろ結果的に皆を助けて自分がボロボロになってきた


恋愛面でも悪い思い出のほうが多い 他人を好きになったことが無いわけではなかった 自分なりに好きな人を大切にしてきた でも、人を愛して報われたことは一度もなかった 傷付けたことがないわけはないが、それ以上に傷付いて傷付いてその都度、傷が癒えるまでに5年はかかった


自分が幸せでいるためには、一人でいたほうがいい
人は必ず裏切る 嘘をつく その都度許す手間がかかる そう、結局許して忘れるしかない

傷付いても傷付いても立ち上がり前に進むしかなかった

人は何もせずとも老いる、死ぬ、そして腐るのみだからだ

いかに人の世が汚らわしくとも、
せめて自分だけは自分の心を貫き通してみせる

それができなくなったときはもう生きていけない

誰かの幸せのために生きることができただろうか?

これからも他人の幸せのために自分を貫き通すことができるだろうか

どうして他人の幸せのために生きようとするのか

それは結局、自分がゴミほどの価値しかなかったからだ

誰かを愛し愛される者にはきっと生きる価値があって、守られる権利があるのだろう


オレは他人を愛して愛しても結局愛されることがなかった者だ

それでも幸せそうな人々を遠目に眺めるのが好きだった

自分には永劫得られぬものだとしても、
幸せは確かにこの世に、この国に存在しているのだと信じられるうちは












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コメント

30代後半  埼玉県

2023/04/03 12:33

3.  >>2 チョロ猫 4ちゃい。さん

ちょっとドライな考え方ですが、
他人のことなんか分からなくて当然だと思っています

それは自分のことを誰かに分かってほしかったら、自分で主張する必要がある、という意味でもあります

自分の心で感じたことを、自分の頭で考えて、自分なりの言葉で他人に伝え、対話すること

それすらできないからトラブルが発生するのでしょうけれど、人は変わり得るものです

本性は変わらなくとも習慣は変えることができると信じています

コメントありがとうございます

70代以上  山梨県

2023/04/03 9:46

2. 矛盾しているでしょ。
でも、
「助ける」の本当の意味を勘違いしていた事に気づいたんです。

だから子供にはそう教えてます。纏まりのない長文失礼しました。m(_ _)m

70代以上  山梨県

2023/04/03 9:41

1. 自分がどんなに苦しくて困っても、誰かが助けてくれることはない、、、凄くわかります。寧ろもう、それが分かっているから、「助けて」って言えない。助けを求めても、見放された経験がある人は、きっとみんな助けを求めなくなるでしょうね。特に親にこうゆう扱いを受けて大人になった人は、「人は助けてくれないものだ」と子供の頃から学習してます。

それでも、私は自分の子供には
「困ったら、誰かに助けを求めなさい。きっと力になってくれるから。」と教えています。

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