桜を忘れる人たちへ
梅も咲き揃わぬ二月初旬の朝、職場の正門前にある桜樹の枝を見上げていた
青空を遮る枝振りの広さから老樹と見えて幹も太い 夥しい蕾を蓄えた枝の綾に見入っていると暫くして君が来た
「そんな隅っこでどうしたの?」と君は訊いてきたから「桜を見ていた」と答えた
「桜?どこにあるの?」
「どこって、構内の樹は全部桜だろ」
怪訝な顔をした君を見ても私は驚かなかった
ああ、と要領を得ない返事をする君に言った
「桜はなにも花だけが桜ではないんだ 桜の本体は樹なんだからずっとそこにある 渡り鳥でもあるまいし、どこかへ飛んで消えていくわけでもない」
誰もがそうだ 人は花だけを見ていて桜そのものを少しも見ていない
長い冬を耐えた桜樹が褐色の身を搾り出すように咲かせる花の壮麗さを認めない筈はない この国に春の饗宴を楽しまない人はいないというのに、季が往けば何事もなかったかのよう桜を忘れる人々の軽薄さが私には悲しい
桜は観に行くものではない 気付けば常にそこに在る もし我々が、花を愛でるように樹を見れば、人は今よりもっと人を愛せるようになるのではないか 桜ほど身近な花はなく、桜ほど影の薄い樹はない
我々は時として身近なものほど見失う