かぎりあるもの
凡そこの世に認識し得る全てのものは有限である
と書いてみたけれど、難しい話はもういいや
だって自分以外の誰の役にも立たないもの
わざわざ他人の時間を奪ってまで読んでもらおうと思わない
限りある今を精一杯生きる
それだけで何だかんだ皆忙しいわけだ
昔はね、体力とか気力ってのは、
使えば使うほど湧き出てくるものと信じていたのだけど、そろそろ考えを切り替える時が来たなと感じるこの頃だ
自分はまだまだ若いつもりでいても、周りは確実に老いている もう若者ではいられなくなってきた友達の姿、老い衰えた親の姿を目の当たりにして、少し寂しさを覚えた
寅之佑は筋トレ、ロードワークを日課にして2年経つ
数年前よりも筋力体力が漲り、有り余っている
そんな奴は周りの同年代に一人もいない
結婚や育児の苦労を知らないせいもあるだろう
生きることに意味があるとかないとか、
昔はそんなことばかり考えていた
今は、
永遠や無限の中にある意味ではなく、
今を生きる、かぎりある自分を生きること
その意味を日々作り上げているところ、と言ったところか
永遠なるものが持ち得ない意味を、
有限なる我々は持っているに違いない
それを知るためには、恐れずに人と交わり楽しむこと
当たり前のようで当たり前にできていなかったことと、もう一度向き合ってみようと思った
コメント
2023/06/08 23:01
2. >>1 よんなーさん
こんばんは 私はまだ観ていませんが、お察しするに『無限列車編』を息子さんと観賞なされたのですね
死ぬことができる、ということは、ある意味では人として幸福なことであると私は思います
昔は死ぬことが怖くて生きづらかった
武士の命は時として岩よりも重く、羽根よりも軽いものです
我々は落ちる所まで落ちたとき、本当に生き始めることができるのではないか、とも思います
日々の合間に幸せや命について考えてみますと、色んなことに気付きますよね
返コメ
2023/06/08 22:42
1. 読み進むにつれて、息子と鬼滅の刃を観に行き不覚にもラストでボロ泣きしたのを思いだしました。
なぜ思いだしたのか解りませんが。(^^;
かぎりあるもの、をまた考えてみたいと思います。
素敵な日記をありがとうございます。
返コメ