自分と向き合い、自分を知る
30代後半  埼玉県
2023/07/22 9:28
自分と向き合い、自分を知る







子供の頃、外で遊んで帰りが遅くなると玄関の戸が開かなかった 母は躾の積りで私を締め出していたのだろうが、それでも私は早く帰れなかった 「何度言ったら分かるんだ」と癇癪を起こす母の気持ちも分からなくはなかったし、その時はこれから早く帰ろうと思うのだが、結局直らなかった 小学校高学年になると友達が少なくなって時間を忘れるほどに遊ぶことはなくなった 私は自分が家に帰りたくないことに、その頃はっきりと気付いた
壊れた家庭は子供にとって心の安全基地にならない 両親が喧嘩をしないことだけが望みだった いつも自分が生まれてこなければよかったと思っていた


私が学生時代に勉強しようという気持ちをほとんど持てなかったのは、そうした家庭環境が最大の原因だったのだろう 中学校は最初の3ヶ月で登校を止めた あとは図書館と市の教育研究所に併設された不登校児用のスペースに通った 気乗りしない日は本を借りて河沿いの土手を歩いていた 人の踏み入らない山の中を駆け回ることも好きだった あれほど自由奔放に過ごしたことはなかった


高校は夜学だった 昼間は郵便配達をしていた 3年で卒業したが、勉強は卒業するための最小限しかしなかった 卒業したら二度と勉強などするものかと思った 今の自分とはかけ離れた、まるで別人のようではないかと自分で自分が可笑しくなるくらいである

二十代後半以降、それまでしてこなかった学問と向き合う決意を固めた 中学校までの義務教育と、何か我々が日頃忘れている大切な何かを学びたいと思った 結論を言えばそれが古典だった 『論語』と『孟子』は今でも自分を支える柱となっている



しかし、こうしてある意味では立派なことをしているように見えても、他人が認めてくれることではない 金が儲かるわけでもない 勉強する楽しさよりも虚しさが勝る日もある 時々寄ってきた女と遊ぶことがあったが、どれも長続きしなかった 結局自分を認めてもらいたいという欲求が根底にあって、その欲求が一時的な恋愛として現れるのだろう だからもう寄ってきた女に手を出すのはやめることにした どうせ直ぐに去っていくと知っているからだ かといって自分から女を求めようという気持ちが全くなかった 寄りつく女は女で何か深刻な問題を心に抱えていた それをどうにかしたくて私のもとに来るのだろうが、自分は自分で他人は他人だ 私は他人の心の傷を癒やすために生きているわけではない はっきり言えば自分の心の傷と和解するために今を生きている 他人を見て学ぶことは出来るが、他人を癒やすことはできない 今も心に抱えている深刻な傷と向き合って、自分の心が自分の生きる路を照らしていけるようにならねばと思う そのためにこれからも生きてゆく










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コメント

30代後半  埼玉県

2023/07/22 12:03

2.  >>1 ヴィーナスさん

平生、自分を認めて欲しいとは思っていないのだけど、やはり認められると嬉しくて、それがきっかけで付き合い始めることが多々あったなぁ

それはつまり、相手のことが好きで付き合い始めたわけではないってことになる
人を好きにならない者にとっては、それが当たり前なのかもしれない

女神さんは自分の世界観をしっかりお持ちなんですな(^^)
私もカウンセラーにそう言われたことがあります
自分の世界観を持つ人は、謂わば心に聖域があり、何人たりともそれを汚すことができないのだとか(^^)

30代後半  北海道(道央)

2023/07/22 11:07

1. 

自分を認めてもらいたい

そういった欲求は強かったです
以前は。

今は
自分のことは到底誰にも理解してもらえないことを解っていますから

自分が持つ世界や
自分というものを
逆に私が大切にしてあげようと思うようになりました。

以前は異性に対しては頼りがいや男性らしさを求めていたと思いますが

今は
異性に対して可愛らしさしか感じません

皆、そんなに強い生き物ではなく
むしろか弱いのね… どんなに強く見えてもいつしか肉体を失うのね
と思うと

儚さと愛しさしかありません

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