初めに……今日は笑える日記にはならないかな
浅田次郎の
『天国までの百マイル』
を久々に見つけ読み耽りました
……ワタクシの今迄の人生を何となく思い返しています。
(個人を特定されるかな
)
とある県の片田舎、少々貧乏な家庭の次女として、この世に生をうけました。
お酒が大好きで、寂しいのが大嫌いな父。
いつもクルクル忙しく働き、少々短気だが単純で明るい母。
身体が弱くいつも発作を起こしてはいたが、一緒に遊び回った年子の姉。
マイペースで我が道を進む、頑固でちょっと変わった3つ下の妹。
父は新聞記者の傍ら空手の道場を開いており
我が家は常にお弟子さんやら何やらが出入りしている賑やかな家庭でした。
近くに神社が在る為か犬や猫が捨てられ、それらもいつの間にか家族の一員に。
ピーク時には犬11匹猫13匹にまでなりました。
(ムツゴロウさんだよ
)
ある朝、幼稚園に行く途中で捨て猫を見つけ可哀想に思った姉とワタクシ
当たり前の様にすぐに連れて帰りました。
『飼って良いでしょ?』
『これ以上は無理
捨ててきなさい。』
2人で泣きながら元の場所に戻し幼稚園に行きました。
帰りにその場所に立ち寄ると猫は居らず箱だけがポツンと。
うなだれながら帰宅すると、父の膝の上に朝の猫達が。
『
が降ってきたからな』
お酒を飲み
を観ながら父がボソッと一言。
怒った時は大きな拳骨でゴツンとされるけれど、そんな優しい父がワタクシは大好きでした。
いつ迄もずっと、そんな生活が続く……幼かったワタクシは疑いもしなかった。
小学校に上がる頃には父は入退院を繰り返し、母は働きながら看病に通ってました。
必然的にワタクシ達姉妹は長い休みになると母方の祖母の家へ預けられました。
何処までも続く田園風景
朝から晩まで野山を駈け回り祖母が呼びに来るまでひたすら遊んでいました。
季節は8月になり、いつもの様に姉達と朝から小川で遊んでいると
『○○、△△、すぐに帰ってきなさい
』
昼ご飯でも無いのに祖母が迎えに来ました。
そんな事は初めてでもあり、祖母の様子にただならぬ空気を感じ
ワタクシ達は急いで帰宅しました。
『今から連れて行くから』
電話を終えた祖母と一緒に駅に行き電車に乗りました。
『大丈夫、絶対に大丈夫だから……』
ワタクシの肩を撫でながら呪文の様に繰り返す祖母。
地元の駅に着きタクシーで
へ
初めて訪れた父の居る
なのに
階段を上り、その先に見えたドアの先に
『あ、この部屋にお父ちゃんが寝てる』
何故だかワタクシにはわかりました。
ドアの下にある通風口……
白い煙の様なものが出て来て、やがて父の姿に。
病室に入ると、母が泣き叫びながら父の身体を揺すっていました。
傍に居た親戚に
『お父さんはまだ近くに居るから、帰って来てって言いなさい』
そう言われましたが、ワタクシは無理なのがわかってました。
『お父ちゃん、さっき外に行ったのにな』
口には出さず、ただ立ち尽くしてました。
通夜、葬儀が終了した夜、父方の祖母に
『お父ちゃん、ドアの下から出て来たんだよ』
そう言うワタクシに
『血筋かねぇ……1番似てるしねぇ』
おばぁが呟きました。
『ふぅ~ん似てるんだ』
単純に、ただ嬉しかった。
父の死から1年もしない位に我が家は引っ越しをしました。
父のお弟子さんの親戚が持っていた、倉庫の隣にある事務所の2階。
初めての場所、新しい学校、父の居ない生活。
母は夜が明ける前に働きに出て、帰って来るのはワタクシ達が寝静まってから。
正直、寂しく無かったと言えば嘘になる。
新しい学校では様々な理由をつけていじめられた。
家に帰っても母は居らず、ストレスのせいか姉は夕方になると必ず発作を起こしていた。
妹はまだ小さく、いつも1人ぼっちで留守番していた。
保育園や幼稚園に行かせる余裕なんて我が家には無かったのだ。
洗濯や掃除は母が寝る間を惜しんでしてくれていた。
幸い、食事は母が市場で働いていた為に材料はある。
ある日、見よう見まねでインスタントの出汁に醤油で味付けし
玉ねぎを入れただけのうどんを作り母にメモを残した。
『まずかったらゴメンね』
翌朝
『ありがとう、凄くおいしかった』
枕元に手紙がありました。
それから、家庭科の先生に聞いたり近所のおばちゃんにならったり
徐々に、レパートリーは増えていった。
顕らかな失敗作でも、皆が
『美味しい×2』
と、食べてくれるのが嬉しかった。
『お母ちゃんは忙しい、姉ちゃんは病気、ちびじゃ無理、やるしかないか』
負けたくなかった、すべてに。
父のお弟子さんに
『空手教えて』
と、電話をした。
幸い2歳になる前から稽古を始めていたから下地はある。
2ヶ月程が経過したある日、妹が泣きながら帰ってきた。
公園で近所の悪ガキにいじめられた……と。
我慢も限界だ、ちびを守ってやれるのは自分だけ。
公園に走って行き……
いじめっ子達をぼこぼこにしてやった。
連絡を受けた母はすっ飛んで帰って来た。
当たり前だ、相手は利き腕を骨折したんだから。
3対1ワタクシだって傷だらけ。
相手の家に謝りに行った帰りに母が
『良くやった。理不尽なことには正しい筋を通しなさい。ただ……手加減覚えなきゃね(笑)』
母はわかってくれていたのだ。
いじめはピタリと止み、ワタクシは
『キレたら怖い奴』
と、立場が定まりました(笑)
そんなある日、母が
『外にご飯食べに行こう』
と。
それは運命の歯車が狂いはじめる一言だった……
コメント
2010/10/24 7:02
8. >銀狐さん
長いわよ
返コメ
2010/10/24 6:52
7. おはよう せらぴ~さん (__) これから続き読みます
返コメ
2010/10/24 6:48
6. >シェリーさん
ん~大丈夫
そろそろ自分の中で消化しないとね
浅田次郎、良いよ~
返コメ
2010/10/24 6:46
5. >マキさん
その3まで書いてしまった
途中、京都のお母さんとも出会ったから立ち直ったんだ
グレるより真面目な方が楽だって思い知らされました
返コメ
2010/10/24 6:44
4. >どんさん
ありがとう
いつも酔っ払ってたけどね
でも大好きだったんだ
返コメ
2010/10/24 4:55
3.
大丈夫?書いて…
何かあった?
泣きながら話してたから心配
返コメ
2010/10/24 4:29
2. お疲れ様
この ご両親だから 今の せらちんが あるんやなって思った~
続き 気になる…
返コメ
2010/10/24 4:22
1. 素敵なお父さん 残念です
返コメ