名取春仙 ~役者を描く~
5月1日に、岡崎市美術博物館で開催されている企画展「名取春仙 ~役者を描く~」を観覧してきました。
皆様は、名取春仙(なとり しゅんせん)という画家をご存じでしょうか?
名取春仙は、【大正新版画運動】の旗手として、役者絵で名声を得た画家です。
浮世絵のルネッサンスとも呼ばれる、大正時代に興った【新版画運動】とは……
江戸時代から続く、絵師・彫師・摺師の三者協働の制作方法を継承しつつ、時代性やより強い作家性を加味した、新しい版画をつくる事を意図した活動です。
この新版画を牽引したのが、渡邉版画店の店主 渡邉庄三郎です。
名取春仙も、渡邉庄三郎に見い出された画家のひとりでした。
他にも、 橋口五葉・川瀬巴水・伊藤深水・吉田博などの画家を、版元としてプロデュースしています。
渡邉庄三郎とは、言ってみれば、江戸時代に東洲斎写楽や喜多川歌麿を世に売り出した、版元の蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)のような存在でしょうか。
いや、“大正の蔦重”と言っても過言ではないでしょう。
江戸時代の浮世絵の三大画題は、美人画・役者絵・風景画でした。
新版画の絵師たちの役どころはと言えば、美人画は橋口五葉・伊藤深水、役者絵は名取春仙、風景画は川瀬巴水・吉田博。
余談ですが、あのAppleの創業者スティーブ・ジョブズは、川瀬巴水の大ファンで、巴水(はすい)の絵を多く所持していました。
では、新版画の特徴を幾つか挙げておきます。
1、摺りの回数が多い
江戸時代の浮世絵は、多くて十数度摺り。対する新版画は30度程度の摺り。
よって、江戸の浮世絵と比べて、色彩がより鮮明である。
2、ザラ摺り
この技法こそが、江戸の浮世絵と新版画の決定的な違い。
江戸時代には、バレンの跡を絶対に残さないが、新版画ではあえてバレンの跡を残し、絵に立体感を生み出した。
3、平面的でない
江戸の浮世絵のように平面的ではない。
西洋絵画のような、遠近法や陰影を取り入れる事によって、立体的でより複雑な表現が可能となった。
最後に、名取春仙の役者絵以外の画業について、幾つかご紹介しておきます。
役者絵を描く以前の春仙は、東京朝日新聞の社員として、新聞の連載小説の挿絵を描いていました。
例えば、夏目漱石や島崎藤村、泉鏡花などの連載小説の挿絵です。
また、文芸本の装丁も手掛けています。
この文芸本の装丁に関し、こんなエピソードが残っています。
ある日、石川啄木が春仙の自宅を訪れます。
啄木は一時期、東京朝日新聞の校閲係として働いていました。
春仙も、東京朝日新聞の社員です。
同じ新聞社に勤務する、という僅かばかりの繋がりを頼りに、啄木は春仙宅を訪問したのでしょう。
「先生、この度、自分の歌集を発刊することになりました。ついては、先生に装丁をお願いしたいのですが……」
こう言って頭を下げる若者の身なりを、春仙はじっくりと観察します。
まだ若い上に、大変に身なりが粗末だ。
こんな貧しい青年に、とても作画料など払える能力なぞ無いだろう。
そう思った春仙は、頭を垂れる啄木に向かって、こう言います。
「よし、分かった。俺が装丁をしてやる。ただし金は要らん。ただでやってやる」と。
こうして誕生したのが、石川啄木の処女歌集「一握の砂」でした。
後年、春仙はこの事を思い出し「あの若者があんなに有名になるとはなぁ……」
と述懐していたようです。
男気のある春仙のこのエピソードは、とても心温まりますね。
岡崎美術博物館が所蔵する、名取春仙の「創作版画春仙似顔集」・「春仙似顔集追加」、そして肉筆画を含む全49点の展示は、今月の15日まで。
大正・昭和に活躍した歌舞伎役者・舞台俳優・映画スターたちの溌剌とした姿が、令和に蘇ります!
蛇足ですが、岡崎市のゆるキャラ「オカザえもん」が、今年10周年を迎えるそうです。
展示室の外に、オカザえもんの人形が飾ってあったのですが……。
もうコレ、ゆるキャラと言うより【ゆる過ぎキャラ】です。
一歩間違えたら、子供の落書きですよ。
彦根市のヒコにゃんと比べると、そのクオリティーの低いこと低いこと。
でも、若い女の子や子供たちは、喜んでオカザえもんと並び、写真を撮っていました。
キモカワな部分がウケているのでしょうか……?