山下清展 クイズ付き
40代後半  愛知県
2016/10/12 19:05
山下清展 クイズ付き
ただ今、豊橋美術博物館で開催中の『放浪の天才画家 山下清展』へ行ってきました。

日記のお題が美術・絵画となると、「お堅い話ではないか」と、つい身構えてしまう方もいらっしゃるでしょうが、心配ご無用です!

けして肩の凝らない内容になっておりますので、最後までお付き合いのほどを。

また、この日記の末尾には、山下清に関するクイズを設けましたので、良かったら、コメント欄に解答をご記入ください。

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そもそも私が、山下清という画家を知る切っ掛けとなったのは、子供の頃にテレビで放映されていた『裸の大将』という人気ドラマでした。

山下清を演じたのは、芦屋雁之助という名喜劇役者で、「雁之助の山下清か、山下清の雁之助か」と言われるぐらい、彼の生涯の当たり役となりました。

ストーリーは、毎度似通ったもので、養護施設での生活に飽きた山下清が、学園をコッソリと抜け出して、自由気ままな放浪の旅に出るというもの。

自分の気に入った土地があると、しばらくそこで滞在し、その地の人たちとの交流が始まります。

笑いあり涙ありのドラマが繰り広げられ、終盤になると、山下清が高名な画家であることが、周囲の人々にバレてしまうんですねえ。

今まで清のことを、「ちょっと頭の足りない、名も無きルンペン」と小馬鹿にしていた連中が、突然手のひらを返したように、ヘイコラするんです!

ここがもう、水戸黄門が三葉葵の印篭を出した時のように、観ているコチラは、すーっと胸のツカエがおりるんですよ!まさに愉快・痛快の気分となる!!

まあ、長々とドラマのことを書きましたが、実は、今回の展覧会に話を繋げてゆくための伏線になっているんです。

このドラマ(フィクション)が、とてもヒットしたために、ドラマで作られた虚像が一人歩きしてしまうのです。

まず、山下清というと、【放浪の天才画家】なんて呼ばれますが、彼が日本各地をあちこちと放浪していた時期は、まだ画家になる前でした。

31歳で、【放浪】を止めると八幡学園の学園長に誓いを立ててからは、人知れず行方をくらますような事は、ほとんど無かったようです。

そうです、肝心なことを書き漏らしていました。

山下清は、3歳の時に、重い消化不良にかかるのです。

病は、3ヶ月で完治するものの、その後遺症から清は、軽い言語障害と知的障害を負うこととなりました。

千葉県市川市にある、精神薄弱児を預かる養護施設「八幡学園」へ入園したのは、清12歳の時です。

この八幡学園では、学園教育の一つとして、児童たちに貼絵(ちぎり絵)を教えていました。

山下清が最も得意とした「貼絵」と出会ったのは、ここ八幡学園だったのです。

この八幡学園に在籍していた、18歳から31歳までの間に清は、放浪を繰り返していたんですね!

さて、ドラマ『裸の大将』における、山下清のイデタチと言えば、ランニングシャツと短パンですが、これも間違いなんです。

実際、放浪していた時の清は、夏は浴衣、冬は着物を着用していたようで、今回の展覧会では、放浪時に着ていた浴衣も展示されていますよ!

そして、ドラマでは、行く先々で絵を描いていますが、これも嘘!

旅先で清は、ほとんど絵を描くことはありませんでした。

よって、旅の荷物の中に、スケッチブックや貼絵の道具は入っていなかったんです。

絵は、旅先での記憶を元に、学園や自分の家に帰ってきてから描いていました。

山下清は、驚異的な観察力と記憶力の持ち主だったので、帰ってきてから描いた絵と、実際の風景は寸分の狂いも無かったというから、ビックリです!!

さて、文字数の制限があるので、ここで突然、「山下清クイズ」!

さて、問題です!

Q.山下清は、旅をする際、茶碗・箸・手拭い・着替えの他に、普通の人では持っていかないような物を、リュックに詰めていました。さて、それは何でしょうか?次の三つの内から選びなさい。

1、4枚の板きれ
2、巾着袋いっぱいに詰めた砂
3、5個の石ころ

このクイズの答えと、展覧会のお話の続きは、次回の日記で。
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