捻駕籠(ねじかご)の席
名古屋市昭和区汐見町の閑静な住宅街の中に、『昭和美術館』という私立美術館があります。
この美術館の敷地内に、『南山寿荘(なんざんじゅそう)』 という県指定文化財の建物があるのです。
普段は非公開の南山寿荘ですが、1年に1度、11月3日の「文化の日」に限り、特別公開されます。
というわけで、その「文化の日」に南山寿荘の見学へ行ってきました。
『南山寿荘』は、江戸末期に建てられた建物で、昭和10年頃に現在の地へ移築され、その折りに【南山寿荘】と命名されました。
この建物を当地へ移築したのは、名古屋の実業家で、昭和美術館の創立者でもある後藤幸三氏。
南山寿荘の元々の所有者は、尾張徳川家で家老職を務めた渡辺半蔵規綱(のりつな)という人物で、幕末を代表する武家茶人の一人でもあります。
40歳頃に隠居した規綱は、剃髪して兵庫入道(ひょうごにゅうどう)と名乗り、残りの人生を茶の湯や陶芸などに費やす、風流三昧の日々を過ごしました。
雅号を多く持っていた規綱ですが、特に名高い号は、『又日庵(ゆうじつあん)』と『宗玄』で、彼の製作した楽焼に類いする陶器は、彼の号にちなんで「宗玄焼」と言われています。
では、南山寿荘に話を戻しましょう。
南山寿荘の1階に『捻駕籠(ねじかご)の席』と言う、ちょっと風変わりな名前のお茶室があります。
『捻駕籠の席』は、全体の建物に対して、斜めにふって配置されています。
その様(さま)が、お駕籠を少し捻(ひね)って据えた格好に似ている……そんなところから、『捻駕籠(ねじかご)の席』と呼ばれているんですよ。
このお茶室の一番の特徴は、本来屋外にあるはずの露地(茶庭)と待合、そして躙口(にじりぐち)が、建物内に取り込まれていることです。
【露地】と呼ばれる、お茶室に入るまでの庭は、一般的に屋外にあります。
招かれたお客様が、呼ばれるまで待つ「腰掛待合」という腰掛も、露地にあるんですよ。
なぜ、屋外にあるものが、屋内に置かれているのでしょうか?
もともと南山寿荘は、渡辺規綱の尾頭坂(おとうざか)別邸内にありました。
この別邸は、川沿いに建っていたのです。
舟で川からいらっしゃったお客様が、そのまま席入り出来るように、このような造りとなりました。
その様子を二階から見下ろすと、お茶室の屋根の中へ、あたかも舟が入っていくように見えたと言います。
そのため、このお茶室は『入舟(いりふね)の茶席』とも呼ばれていました。
それでは、にじり口からお茶室の中を覗いてみましょう!
茶席の内部は、貴人席(きにんせき)・相伴席(しょうばんせき)・点前座(てまえざ)の三つの空間から構成されています。
貴人席が一畳、相伴席が二畳、点前座が一畳、さらに客畳と点前畳の間に、1尺4寸幅の中板が入る、【四畳中板入り】のお茶席。
貴人席の後ろにある床の間を見て、「おや?」と思う。
床の間の向かって左手の柱が、上から15cmくらい下がったところで、プッツリと切り取られているのです!
こうする事により、視線を遮らず、奥行があるように感じられるのです。
外光を取りこむ窓は、なんと六つもあるんですよ。
大身のお武家にはとても似つかわしい、ゆったりとして明るいお茶席でした。
さて床の間には、渡辺又日庵筆の『真情一味茶』という掛け物があります。
これは、「真情一味の茶」と読みます。
真情(しんじょう)は真心、一味(いちみ)は純粋な味。
「真情一味の茶」 は、以下のような意味です。
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心をこめて点てた茶には、茶の道に真っすぐ通じる純粋な味わいがある
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ではでは、これから二階にある書院へ上がって、お薄をいただいてきます!